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スピードは悪か?

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“スピード狂”というのはもはや死語である。というかダサい。「オレ、スピード狂なんだゼ」と粋がっても「きゃーステキ」と称賛されることは少なくとも今の時代、ない。それどころかはっきりと蔑まされる。世の多くの人はもはやスピードが嫌いなのです。

ボクはスピードが好きだ。クルマで感じるスピード世界は、何より刺激的だから。若い頃はだから相当に飛ばした。公道=ストリートをとんでもないスピードで暴走した。

そう——いま思えばあれは、はっきりと暴走だった。

自分が気持ちよければそれでよし。周りの人のことなんて一切眼中になかった。若気の至り、といえばそれまでだけれど、思い返すとだいぶ恥ずかしい。調子に乗って周りを巻き込む事故でも起こしていたら、今ごろ人生真っ暗闇だったかもしれない。そう思うと、ゾッとする。

クルマを通したスピードがもたらしてくれる刺激は、限りなく麻薬的だ。だからどこかで我を忘れる。我を忘れて天下の公道を猛スピードで暴走する。これはもう、言葉は悪いがキチ○イだ。なるほどまさにスピード“狂”——これって相当にカッコ悪い。

真夜中の高速道路を本気で踏み抜く男の走りにリアルに触れたことがある。彼は空冷のポルシェ乗り。これ見よがしな無駄なチューニングはなく、あくまでノーマル+αな仕立ての愛機だったが、これがもうストリートではべらぼうに速かった。

何よりクールだったのは、無闇にアクセルを踏まないところ。少なくとも周囲にクルマがいると、明らかな安全マージンを意識しながら走るところが大人だった。アクセルを踏み抜くのは他に迷惑がかからない範疇で、そんな周囲の流れを常に意識して踏む走りにはメリハリが効いていて、そこに百戦錬磨の真の走り屋の矜持を感じた。

無論、実際のアクセルの踏み抜き方は半端なかった。明らかに狂った領域だった。でも、それは決して暴走ではなかった。

「危ないことをしている自覚があるからこそ、周囲の空気を読み取る勘は必要。要はタイミングがすべてってこと。ただ闇雲にアクセル踏んでるだけじゃアホだもの」

タイミングこそすべて——これってまさに人生そのものにも当てはまる。人生を強く生き抜くには“勢い”も大切だけれど、それ以上に冷静に流れを読む“勘”が求められる。何事も、勢いだけではやがて綻ぶ。流れを読み取り、タイミングがきたら心のアクセルを踏む。そして、タイミングを読む勘は場数を踏んだ分だけの経験値がモノを言う。

高速道路の追い越し車線を延々と法定速度で走り続ける“空気のまったく読めない”連中(あれは日本の交通文化の恥ですね)は別として、クルマが本来秘めたスピードの価値と向き合うならば、その価値の持つ真の意味をきちんと理解する必要がある。

スピードと向き合う場所や時間を考えることも大切だし、何よりクルマそのものの性能を理解することだって必要だ。件の真夜中の走り屋氏は定期的にサーキットに通って愛機の挙動や限界領域を体に刷り込み、さらには愛機の性能を正しく引き出すためのメンテナンスも常に万全としている。休日は峠の走り込みだって怠らない。

そう、要は向き合い方次第なのだ、スピードの価値を高めるのは——

あのどこまでも麻薬的で、だからこそ虜になってしまうスピード世界。それはそれと向き合う人間の思い次第で、他に迷惑を及ぼす害悪にもなれば、かけ替えのない上質な価値にもなる。

今の時代、クルマの性能はもはや天井知らずに上がり、誰もが金さえ払えば極限のスピードを簡単に手にいれることができるようになった。さらには自動運転の機運もいよいよ高まり、遠くない将来に、間違いなくそれは日常の中に根付くことだろう。

自分自身の意志と腕でスピードをコントロールする。そうした価値観はだから、過去のものと成りつつあるのは確かだ。それこそサーキットに代表されるクローズドな場所でしか、真に良質で価値あるスピードと向き合うことができない——そんな時代は、もうすぐそこまできているのかもしれない。

それでもボクは日常の中で、クルマが秘めたスピードの価値と向き合い続けたい。絶対的なスピードだけではなく、それが緩やかな流れであっても、スピードは人の五感に何かを訴えかけてくれる。それもまた、事実だと思うから。

旧い世代のクルマたちは、絶対性能が低い分だけ、そうした感覚が豊かだ。だから闇雲に飛ばさなくても気持ちが良い。

逆にとにかく刺激的で、そして何より挑み甲斐のあるスピードを求めるなら、素直にサーキットを目指せばいい。

己の中のスピードリミッターを、ボクたちクルマ好き(そしてスピード好き)は、今改めて見つめ直す時期にきている。

「何を急に辛気臭いこと言って……」と思われるのかもしれないけれど、それくらい、スピードの価値は危うい時代にあると思うのだ。あの頃のような暴走はもうできないけれど、しかしそういう経験ができたからこそ得られたスピードへの熱い想いを、この先の時代にも正しく繋ぎ残していくことは、ボクたちクルマ好きの使命じゃないか?

そう、スピードは悪ではないのだから。

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この記事の執筆者

高田 興平

Ko-hey Takada

モーターヘッド編集長

高田 興平の記事一覧>>

1974年式の43歳。寅年。職業は編集者。ジャンルレスなモーターカルチャー誌「モーターヘッド」&コレクター向けのハイエンド・カーライフ誌「Gentleman Drivers」の編集長を兼務。他にもイベント関係などアレコレ手がける浮気性(?)。既婚。愛車は1982年式のメルセデス・ベンツ500SL。

この記事の執筆者

高田 興平Ko-hey Takada

モーターヘッド編集長

1974年式の43歳。寅年。職業は編集者。ジャンルレスなモーターカルチャー誌「モーターヘッド」&コレクター向けのハイエンド・カーライフ誌「Gentleman Drivers」の編集長を兼務。他にもイベント関係などアレコレ手がける浮気性(?)。既婚。愛車は1982年式のメルセデス・ベンツ500SL。

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